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| (c)Sankai Juku |
| リ・クリエーションを経てもなお揺るがない「生と死の起源を巡る少年の夢」 『金柑少年』は、1978年6月に東京の日本消防会館ホールで初演され、山海塾は本作を信じ、踊る場所を求め1980年にフランスへ旅立った。そして同年5月、フランスのナンシー国際演劇祭で上演されるや、瞬く間に評判を呼び、フランス国内だけでなく、欧州・南米の主要フェスティバルから招聘を受け、ワールドツアーを開始。以来、1993年のパリ市立劇場での最終公演まで、15年にわたり、世界21カ国113都市で上演を重ねた、山海塾の現在につながる記念碑的な作品。 本作は1993年のパリ公演を最後に上演が封印されていたが、その後も世界各国から再演を望む声が多く寄せられてきた。天児は、本作を28歳で創作・発表し、15年間、その要ともいえるソロを担ってきたが、再演の要望に応えるにあたり、自身は演出・振付に徹し、4つの天児ソロパートを若手舞踏手たちにそれぞれ委ねるという形で、山海塾の創立30周年を迎えた2005年にリ・クリエーション(再創作)を試みる。 まず10月にびわ湖ホールにて『金柑少年2005』と題し12年ぶりに復活させ、12月にはパリ市立劇場、翌年(2006年)には世田谷パブリックシアターにて『金柑少年』とオリジナルタイトルに戻して上演。「天児ソロを若手が踊る」という、山海塾にとってエポックともいえるこの初の試みは、フランスおよび東京で話題となり、大きな反響をよんだ。 千数百匹のマグロの尾尻が壁一面に打ち付けられた舞台。海と陸の際に佇む少年が見る真夏の白昼夢は、生と死の起源へと時を遡る旅へと観客を誘う。作品の振付・構成は原型をとどめたまま。初演からリ・クリエーションまで長い時を経て、若手舞踏手たちが受け継いだ、山海塾初期の作品。 |
| 演出・振付・デザイン | 天児牛大 |
| 演出助手 | 蝉丸 |
| 音楽制作 | 吉川洋一郎 |
| 舞踏手 | 竹内晶 市原昭仁 長谷川一郎 松岡大 浅井信好 土肥圭史 |
| 初演 リ・クリエーション |
1978年6月 日本消防会館ホール 2005年12月 パリ市立劇場 |
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| 公演評(1978年〜1993年) - ミュージック・ホールの下卑た気取り、性をはるかに通りこす強烈なエロティシズム、打楽器の轟き、西洋音楽のけばけばしさ、そして静寂、高尚な儀式舞踏に、会話のない物語が混ざり合う――開いた口からほとばしる静かな叫び声の重み、異様な旅、息も詰まるような時間――。山海塾は我々の知覚、価値観を根本から覆した。
- 山海塾は、グロテスクで、変形した肉体にとらわれながらも、「異常・変態」そのものが、事物の自然な秩序の一部であるということを提示することによって、それらを美的なものにしてしまう。
- 動きそのものが、許しを獲得した彫刻のようだ。山海塾の舞台は、一種、幻想的な悪夢であり、寓意的な旅であり、相反するイメージのひずみによる衝撃でできている。
- 特定なものにとどまりながら普遍的であろうとし、散在する過去から共有された記憶を喚起する――この作品の素晴らしさは、パラドクスのもっとも複雑に絡まりあう部分を紐解く無限性にある。山海塾が類稀なのは、一点の濁りもないメタファーに到達している点だ。彼らは他のいかなるものにも類似しない。
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公演評(2006年) - ものの質感に対する嗜好や、豪奢なエレガンスを感じさせる天児の美意識はすでに感じられる。年月を経て、客観的に振り伝えられたものの、この作品は少年期の感性を痛烈な情景として蘇らせた。−中略−これまでの作品群は舞踏の系譜からも離れた、天児が自ら展開し築き上げた世界だ。しかしその原点は『金柑少年』だ。時代を経て、さらなる読み直しがされるだろう。
- 舞踏の世界では、レパートリーとして繰り返し上演される作品が比較的少ない。山海塾は例外である。それは個々の作品の完成度が高いというだけでなく、日本趣味とか東洋趣味といった次元をはるかに超えて、普遍的な表現を獲得しえたからであろう。
******************************* 『金柑少年』 特別寄稿 「清冽な狂気、またの名を魂の創作衝動」 岩城京子(演劇・舞踊ジャーナリスト) *フェスティバル/トーキョー09オフィシャルサイトへ |