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| (c)Sankai Juku |
太古の空気。乾いた時間。呼吸する空間。7枚の黒い壁が支えるのは、空、天、宙。ここでは、踊るものたちの指、足先、首がほんの少し動いた瞬間に、空間と時間が入れ替わる。 本作で、天児はこれまでの作品と大きく構成を変えた。さまざまな場面で、群舞のひとりひとりの舞踏手が積み重ねた個の瞑想から発せられる、静かに疾走する感情をみせつける。 |
| 演出・振付・デザイン | 天児牛大 |
| 音楽 | 加古隆、YAS−KAZ、吉川洋一郎 |
| 一枚の布 (スペシャルサンクス) |
山口小夜子 |
| 舞踏手 | 天児牛大 蝉丸 岩下徹 竹内晶 市原昭仁 栩秋太洋 長谷川一郎 松岡大 |
| 共同プロデュース | パリ市立劇場 北九州芸術劇場 山海塾 |
| 初演 | 2005年12月 パリ市立劇場 |
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| 公演評 ル・モンド紙2005年12月20日 天児牛大による生命の劇場 数章からなるこの作品は、舞踏手たちの極度の孤独の上に成り立っている。それぞれの舞踏手が、瞑想の上にとぐろを巻いている自分自身と向きあって表現し、表層を突きぬけるために、休みなく壁にぶつかる。微笑みやしかめ面の間に、螺旋と痙攣がある。逃げ道のないこの妄執以外のものには気づきもせず、山海塾は、この乗り越えがたいものや、積み重なった感情を受容することにおいてのみ存在している。――(中略)――振付家の中で、目に見えないものや、内的なものや、自身の謎といった難しい概念を意識させる人は稀にしかいない。このような冒険は、この現代の儀式に飛び込むことができる振付家にのみ可能なのだから。天児自身によって踊られるソロは、人を魅惑する強い力を持っている。彼は床の上を、常に腰を折った姿勢で対角線に進む。その一歩ごとに、生ける者のアルカイックな不安をさかのぼり、内的な闘いを強めていく。
朝日新聞2006年3月16日 「無」と対峙 おそれとおののきと 山海塾の新作『とき』を見て、気がついた。舞踏は踊りのくせに勝ち誇らない。ひたすら踊りの本質に逆らおうとする。――(中略)――では、勝ち誇らなさの根拠はどこにあるのか。たぶん、「おそれとおののき」にある。あのぎくしゃくした動きは、「無」と対峙したときの「おそれとおののき」にほかならない。そのことだけが、舞踏を舞踏たらしめる。おそるおそる「無」にさわり、「無」の上を歩く。すべての動きは「無」から立ち上がらなくてはならない。ただひとり、天児牛大だけが別次元にいる。「おそれとおののき」ではなく、彼だけは、魂の静かな水面に起こるさざなみを見つめ、動きにする。天井の船のように見える布の上で、ひとり踊る天児は、痛ましくも、美しい。最後の群舞では、古いインドの寺院のレリーフたちが、ゆっくりと、不定形な動きで、舞台前へ進み出る。動きが同調し、焦点があう。そのとき、勝ち誇らないはずの舞踏が、「おそれとおののき」を克服する。だから、エンディングが圧巻なのだ。
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